Ren-ten-koh

マッドティーパーティー

〈"ロスト・エルサレム"〉の通貨単位はドルだと聞いていたが、どうもドルはドルでも独自レートの独自通貨らしい。メニューには〈"ロスト・エルサレム"ドルL・J$という見た事もない単位が記されている。
〈アフタヌーンティーセット 一〇〇L・J$〉というのが、〈外〉の通貨でどのくらいなのかが初見の僕にはわからない。コーヒー一杯が三〇L・J$なのだから……いや、その前に僕はL・J$なんて通貨は持っていない。クーロの分は僕が奢るという話になっていたはずだが、まずいな……。
〈アーネンエルベ〉――ドイツ語で〈遺産〉と言う意味のカフェのほどほどに混みあったテラス席に陣取って、メニューを広げるクーロ。その横でメニューを覗き込みながら、僕は自分の財布の心配をしていた。なんだかんだで着いてきたアゲハさんとタクトは、テラス席の椅子に腰を下ろすと暇そうに視線を彷徨わせていた。
店員がお冷やを持ってくる。完璧な営業スマイルと、執事のようなその恰好だけで、この店の傾向やターゲットの客層が分かる。ここは結構、〈お堅い〉店だ。もしかすると、一見さんお断りの店なのかもしれない。

「じゃあ、わたし、アフタヌーンティーセットで!」

 にっこり笑って、クーロが注文を告げる。僕が奢る約束になっているはずだが、その一〇〇L・J$というのが高いのか安いのかわからないのだから反応に困る。
 僕は小声でクーロに訊く。

「……普通のドルでは払えないのか……?」
「あれ、もしかして、L・J$紙幣持ってません? 空港の近くに、換金してくれるひとがいっぱいいませんでした? まぁ、ああいうひとに頼むと手数料すごいですけど」
「そんな暇なかったからな……」

 財布をスられて、それどころではなかったのだ。過去の失態を思い出した僕は、少し苦笑いを浮かべてしまう。
 クーロは、顎に指をあてる。

「〈外〉のドルって、使えるのかなぁ……? 使えても十分の一くらいにしかならないと思うんですけどねー……」
「十分の一⁉」

 僕の叫び声に、クーロはこくんと頷く。
 いやいやいやいやいや、まずい……ドルで用意した僕の全財産が、ここでは十分の一の価値しかないのか……す、すごく困るぞ、それ……。

「なんとか、ならないか……?」

 僕は縋るようにクーロを見る。
 クーロは小首を傾げて、僕を見つめ返した。

「さぁ? 知らないです」
「は、薄情だな、オマエ! そんな人間に奢らせるとか頭おかしいだろ!」
「むー、わたし、あたまおかしくありませーん! キスクさんこそ、ポンコツなんじゃないですか? 乙女の純情を踏みにじったくせに、アフタヌーンティーセットくらいで許してもらえるなら安いもんでしょう!」

 えっへん、とない胸を張るクーロ。

「あ、あたし、コーラで」
「俺、水でいい」

 僕とクーロが言い争いをしている間に、タクトとアゲハさんも店員に注文を告げる。クーロにもこの簡潔さを見習ってほしいところだった(さすがにアゲハさんの「水でいい」はマナー違反だと思うのだが)。僕はメニューとにらめっこをして、一番価格の安かったオレンジジュースを頼んだ。それでも、二〇L・J$だった。
 店員は営業スマイルを崩さずに「かしこまりました」と言って去っていく。
 金策を考える僕の内心など全く知らず、クーロはにこにこして注文したアフタヌーンティーセットの到着を待つ。タクトはスカートのポケットから携帯電話スマートフォンを取り出し、何やら操作し始める。その横で、アゲハさんは煙草に火をつけた。テーブルには禁煙を示すポップがあるにもかかわらず、である。
 周囲の客が、マナーの悪い客ことアゲハさんを見る。

「アゲハさん、禁煙ですよ……」
「――あ、禁煙?」

 僕がさりげなく、本当にさりげなく注意をしただけなのに、アゲハさんは完璧に喧嘩腰だった。

「俺がいつどこで煙草を吸おうと自由だろうが。副流煙で死ぬ程度の奴は、所詮、その程度の奴なんだよ。副流煙で死ぬ前に、この場で斬られてぇか?」

 怒鳴るわけではないが、僕を見つめ返す目が完璧に据わっていた。ごちゃごちゃ言うと斬る、という意思がひしひしと伝わってくる。

「ちょっとアゲハさんやめてくださいよー、このお店にわたしが出禁になるじゃないですかー」

 お冷を口にしながら、クーロがアゲハさんを咎めた。

「ばか女の事情なんて知るか!」
「ばかじゃないですー、かわいいだけですー、アゲハさんの見る目がないんですー」
「そういうのをあざといって言うんだよ、阿呆!」
「あざとくはないですー! まぁ、カメラ目線とか斜めのポーズとか少し内股気味とか胸の辺りで手を交差しておくとかはお約束ですけど、そこまであざといわけではないですー!」

 ……いや、助け舟を出してくれるのはありがたいが、その点はアゲハさんに同意だ。クーロはあざとすぎるくらいにあざとい。自分が他人からどう見えるのかを常に計算するのは、ゲスの極みのやることだ。
 そうこうするうちに、アフタヌーンティーセットとコーラの瓶、オレンジジュースとただの水の入ったグラスが運ばれてくる。

「うはー! 流石、〈アーネンエルベ〉のアフタヌーンティーセットはゴージャスですねっ! 一本でもにんじん、午前中に食べてもアフタヌーンティーセット! なんちゃって!」

 三層になっているティースタンドには、これでもかというほどにスイーツが乗せられている。僕はスイーツには詳しくないので、ひとつひとつがどんな名前なのか、味なのかはわからない。が、クーロがいちいち「うまっ!」とか「あまっ!」とか言いながら食べているのを見ると、美味いのだろうなということだけは分かる。……甘いものは得意ではないので、食べたいとは思わないが。僕は、黙ってオレンジジュースを啜った。
 ……これから、どうするか。
 そのことを考える。
 目的はあるが、行く当てもなければ資金もない。僕の持っているドル紙幣は〈"ロスト・エルサレム"〉では紙くず同然だ。寝泊まりする場所を確保することすら叶わない。
 ここに来るのが、たったひとつの冴えたやり方だと思ったのに――〈"ロスト・エルサレム"〉に来たからと言って、僕自身は何も変わっていないのだ。
 甘い甘い、今までの僕のままなのだ。
 心底、自分にうんざりした。

「そういえば、キスクさんはどうして"この街"に来たんですか?」

 紅茶を一口飲んでから、首を傾げて僕に訊くクーロ。
 心に土足で入ってこられるような感覚。僕は、強い口調で言う。

「そんなの、オマエに関係ないだろう」
「なんですかー! そのフィールド全開みたいな返し方は⁉ 普通、ここから小粋なトークが始まるシーンでしょう⁉ 目の前に可愛い女の子がいるんですよ⁉ ぷんすこ!」

 頭から湯気が出そうな剣幕で、声を荒げるクーロ。どうやら怒っているらしい。一体、何のフィールドなんだ、その前に、可愛い女の子がどこにいるのか。……まさか、自分のことなのか……?

「なに黙ってるんですかー、さては、ボキャ貧なんですかっ? なんですねっ!」
「ああ、ボキャブラリーが貧弱なんだ」

 僕は適当に返す。
 クーロは、隣で水のグラスに口をつけたアゲハさんを指さして叫んだ。

「アゲハさんよりボキャ貧とか、見たことないですっ!」
「ぶはっ!」

 盛大にむせるアゲハさん。げほげほと咳を繰り返してから、クーロに吠えた。

「ばか女! お前、何言いやがる⁉ 俺はボキャ貧なんかじゃ、にゃ―――――――――――――――!」

 だが、その言葉尻が叫び声に変わる。
 見ると、テーブルの下でタクトがピンヒールのブーツでアゲハさんの革靴を踏んでいた。

「あー、すまねー。足、踏んじまったわー。あとな、クーロ、こいつはボキャ貧じゃなくて、頭がわりーんだよ」
「ああ、そうなんですね。知ってました!」

 満面の笑みで言うクーロ。
 アゲハさんは、涙目になりながら僕を縋るように見る。

「遭難者十五人目……こいつら、酷くねぇか……? 闇討ちとかしねぇ? しねぇか……?」
「……扱いの雑さはわかりましたが、遠慮します……」

 彼の提案をやんわりと却下する僕。
 クーロが、話を切り替えるように僕を見る。その瞳に宿る感情を、僕は嫌と言うほど知っている。単純な、好奇心だ。純粋な、好奇心だ。

「で、なんで〈"ロスト・エルサレム"〉に来たんですか? 観光ですか? 就職ですか?」
「観光で"この街"に来る奴ァいねーだろー」

 タクトが細すぎる脚を組みながら笑った。コーラの瓶はもう空になっている。

「"この街"に来る奴が狙ってるのはアレだろ、アレ。〈"ロスト・エルサレム"〉では奇跡が起こる――ってハナシだろ」
「最近、保護する遭難者の皆さんは大体その噂を聞いてきたひとでしたねー」

 今思い出した、とでもいう風にクーロ。

「アレはもうほとんど眉唾ですよ? 都市伝説、街談巷説に近いくらい曖昧な話です。因みに、先週その噂を聞いてきた遭難者の皆さん――十九名はほぼ全員が自主的に"この街"を出ていかれました」
「自主的に、出ていく――?」

 クーロの言葉を僕はただ繰り返す。
 彼女は、頷いて続けた。

「『"この街"とはもう二度と関わり合いになりたくない。"この街"にはもう二度と訪れたくない。"この街"とは全く違う場所で生きていきたいので、〈"ロスト・エルサレム"〉から出て行く』という念書を書くことですね。別に書かなくても〈外〉に帰ることはできるんですけど、人間関係とか色々と物騒ですから。"この街"であったことを〈外〉でも全部チャラにするには念書を書くのが一番早い解決方法なんですよ。アオザキ教授が受理してくだされば、以後は念書を破って"この街"に関わろうとしない限り〈外〉では安全に暮らせますので」

 そんなに――"この街"は物騒なのか。
 僕のそんな思いを見透かしたように、クーロがにっこりと微笑む。

「やっぱり、観光目的でした?」
「…………」

 僕は、俯いて押し黙った。
 僕だって、何の考えもなしにここまで来たわけじゃない。自分では、ちゃんと傾向と対策を練ってきたつもりだった。だが、そんなものは全て見当違いだった。

「こんな何の〈異能〉もねーのが観光目的じゃないとすれば、野垂れ死ぬのがオチだろ」

 タクトがさらっと何の救いもないことを言う。

「あたしら〈調停者ルーラー〉に遭難者として保護される時点でもう一回死んでんだよ。キノコ食って一機アップしただけ幸運ラッキーだったと思いな。どーせどっかのお坊ちゃんだろーが、故郷くにに帰ったほーがいーぜ」
「帰るところは、もうない」

 僕は呟くように、しかしはっきりと言った。
 それは、もしかすると自分に言い聞かせたかったのかもしれない。

「家族もいない、家ももうない、もう後戻りはできないんだ――」

 タクトが、最高の冗談ジョークを聞いたかのように笑う。哄笑する。

「なら、諦めてくたばれ。〈強くなってニューゲーム〉もできなけりゃ、〈セーブ〉や〈ロード〉も人生にはねーんだよ。どうせ〈"ロスト・エルサレム"〉に来ればなんとかなると思ってきやがったんだろ、そんな甘くねーんだよ、ざまーみろ」
「タクト、お前言い過ぎ」

 煙草をテーブルでもみ消しながら、アゲハさんがタクトをたしなめた。……この二人、外見は兄妹なのに、内面は姉弟のようにも感じられる。どういう仲なのか気になったが、僕自身の個人的なあれこれを話すつもりがないのに、相手のそれを訊くのはファアではない。
 ――まぁ、半ば衝動的に〈"ロスト・エルサレム"〉行きを決めたのも事実だ。
 タクトに咎められるだけの原因が、僕にはある。

「後戻りができないなら、前へ進めばいいだけなのでは?」

 クーロが、さも当然とばかりに告げた。
 まるで、地球は丸いんですよ、とでも言うように。

「どうしてもスイーツ食べたくなった時って、やっぱ食べちゃうのがいいと思うんですよ、乙女的に。けど、あとで太ったー! ってなっちゃうじゃないですか。あ、わたしの体重は夢キログラムですよ? でも、スイーツを食べちゃったって現実は変えられないじゃないですか。そういう時って、痩せよう! と思ってダイエットするじゃないですか。そういうカンジの話でいいんじゃないですか?」
「クーロ、おめーも、甘いんだよ! そのうち足元すくわれるぞ⁉」

 むきになって、タクトが叫ぶ。
 クーロは、フォークを右手に持って高くかざす。口元にはケーキのクリームがついていた。

「甘いの美味しいじゃないですか! ぽじてぃぶ、しんきーん! ですっ!」

 頭の中で、記憶の譜面が自動再生される。
あなたが大好きJe te veux〉と名付けられたピアノ伴奏曲は、この作曲家が作った中でも広く親しまれている曲だ。〈スロー・ワルツの女王〉と呼ばれた人気シャンソン歌手のために書かれた曲でもある。
 別にクーロにときめいたとか惚れたとかそういうわけでは決してない。
 いつだったか、僕の弾くこのおとが好きだと言ってくれたひとのことが、急に懐かしくなってしまったのだ。いつも僕の傍にいて、僕を見守ってくれたあのひとが。
 ――あなたの音、わたしは好きだから――。
 その声が、今はとても遠い記憶に思える。
 ああ、姉さん――僕は、絶対に、貴女を――。

「あっ! キスクさん、さては、わたしに惚れましたねっ⁉」
「だとしても、それで台無しだな!」

 びしっ、と僕を指さすクーロに、瞬時にそう返す。
 そんな、馬鹿馬鹿しい会話をしていた時――。
 傍らに置いていた携帯電話スマートフォンの画面に、突然、ノイズが走った。
 テラスから見える街中の、巨大モニター、端末という端末にも、同じように砂嵐が吹き荒れる。

「またきたか……あいつ……」

 アゲハさんが、咥えかけた新しい煙草を落としそうになりながら言う。
 クーロが頬を膨らませて、テーブルに肘をつく。

「来ちゃいましたねー」
「うぜー!」

 タクトが操作していた画面に走ったノイズに苛立って携帯電話スマートフォンを投げ捨てた。
 僕だけが、話を呑み込めない。
 三人の反応を見ている限りでは、単なる電波障害や電子機器の故障などではないようだ。

「…………?」

 携帯電話スマートフォンを覗き込みながら、次に起こる事態を待つ僕。
 ジャーン! という音と、子供向け番組のような間の抜けたバックグラウンドミュージックが携帯電話スマートフォンや、街中の巨大モニターから流れ出す。
 画面の砂嵐が晴れていく。
 そこに映し出されたのは、黒いゴシックな格好をした奇人の姿だった。男なのか女なのかはわからない。どちらにも見えるし、どちらでもないようにも見える。薄暗い場所で、椅子に腰かけているくせに、人物だけはスポットライトを当てたように明るく浮かび上がっている。そして何よりもその人物を異質たらしめているのは、その身体に巻かれた包帯だった。なにせ全身包帯ぐるぐる巻きなのだ。

「なんだ、こいつは……」
「ああ、深く考えんな。〈"ロスト・エルサレム"〉のキチ神mad god

 アゲハさんが、うんざりした口調で言った。
 画面モニタの中で〈神〉を気取る変人が両手を掲げる。

『私が"この街"に降り立った〈神〉――ルキアなのだよー!』

 奇人の名乗りと共にもう一度、ジャジャジャ―――――――――ン! とファンファーレが鳴る。
〈ルキア〉と言えば迫害され殉死した清廉な聖女の名前だ。目をえぐり取ったものの奇跡により治癒し、眼病の守護聖人になったとされる。が、画面の中の変人にその聖女の面影はない。
 ……何だろう、ゴシックロリータの意味を履き違えて中二病をこじらせた自称新世界の神が降臨した、とでも言うしかない。
 一体誰に向かって自己紹介をしているんだ。僕にか? まさか。

「〈神〉って……本当に、〈God〉なのか?」
「ホントも嘘もないですよ。退屈しのぎに災いとか奇跡とかもたらしてくれる厄介な存在です。なんか、彼ないし彼女を信仰する宗教もあったような……」
「彼ないし彼女、って何だそれは」
「〈神〉なんですもん、性別なんて超越しちゃってるんですよ」

 クーロはアフタヌーンティーセットをぺろりと平らげて、「ゴチソウサマデシタ」と両手を合わせる。

「奇跡を、もたらす……」

 ――ならあの人物に会うことができれば、僕が〈"ロスト・エルサレム"〉に来た目的の全てが一気に叶うのではないのか? あの、包帯ぐるぐる巻きの奇怪な怪人に、会う――? いやいやいやいや、ちょっと待て、流石に怖すぎる。それこそ何をされるかわからない。
 こういう所が、タクトの言う〈甘い〉ということになるのだろうか。
 流石に怖すぎるので、誰かが一緒に付いてきてくれると、どこかで思ってしまうところが。
 たとえそれが無意識だとしても。
 否、無意識ならなお悪い。
 自称・〈神〉の演説は続く。

『〈"ロスト・エルサレム"〉の弱者たちよ、私を忘れてはいないだろうか? 〈"ロスト・エルサレム"〉の救いの神を――私の存在を!』

 さすが、自称だとしても神だけあって、妙なカリスマ性があった。雰囲気だけはあるように感じる。

『本日も弱者たちを救おうと思うのだが、最近"この街"には人々が多すぎるとは感じないだろうか? 飴にたかる蟻のようにどこからともなくやってくる! 飽き飽きするのだよ、まったく! 世の中――クソだなThe World is Full of Shit!』

 舞台役者のようにそう言うと、神はニヤリ、と笑った。その笑みは、神というよりも悪魔的なそれに近かった。

『そろそろ、間引くことも必要だろう……?』

 もう一度、ジャンジャカジャ――――――――――――――ン! とファンファーレ。
 この自称・〈神〉……妙に芸が細かい。凝り性なのか。

『というわけなので、今回は容赦なく災いを与えようと思うので心してかかるべきなのだよ! 特に無駄な抵抗をする〈調停者ルーラー〉諸君! さっさと諦めて絶望してしまうのが人間ヒトのためなのだよー! 私は本気でやっているのではないのだから、それに本気で乗っかってこられてもドン引きなのだよ? 将棋の名人が十枚落ちで初心者相手に指している気分なのだからね、こちらは!』

 びしびしと画面の向こうから僕たちを指さしつつ怪人は言う。僕は正直、不思議の国に迷い込んでしまったアリスの気分だ。

「……何か一人で訴えてるんだが……」
「気にしない方がいいですよ、いつものことなんで」

 クーロはあくまでもマイペースを崩さない。
 タクトもアゲハさんも、虚無のような表情で画面を見つめている。
 画面の中の怪人が手を打ち鳴らすと、先ほどとは違うパンパカパーン、というファンファーレが街中に響いた。

『制限時間は一時間! 〈"ロスト・エルサレム"〉の四カ所に魔法陣を展開した! ルールは実に単純明快! 四つの魔法陣を破壊せよ! 魔法陣からはぴったりきっかり一時間後に色々なモノが召喚される仕掛けになっている!』

 嬉々とした表情で自慢げに解説する自称・〈神〉は、とても楽し気だ。水を得た魚のように生き生きとしている。

『一つでも破壊できなかったら……"この街"が滅びちゃうかもしれないけれど私は知ったこっちゃないのだよ! 何度も言うのだがこれは遊びなのだからね! 遊びでモノが壊れても、子供は気にしないものだろう? では、ばっははーい! てへぺろ☆』

 カメラ目線でキメ顔を見せて、妙な〈神〉は姿を消した。携帯電話スマートフォンの画面も街中の巨大モニターも通常デフォルトに戻る。
 ……今さっき見たのは、現実だったのか……?
 幻覚とか、そういった類のものではなかったのか?
 飛行機の窓の外に見た少女と同じように。
 よくわからない大量のストラップが付いたクーロの携帯電話スマートフォンが、これまたよくわからない大音量の着信音を奏でた。……全く聞いたことのない曲だった。

「はいはーい! クーロですなう! ……はい、はい、はーい……りょーかいでーす……はい、はーい」

 電話に出たクーロの声のテンションが、だんだんと下がっていく。が、テンションが下がっている状態が常人で言うテンションの高い状態なのだということが、この短い間でクーロについて分かった数少ない事柄だった。それ以外のことは全く分かっていない。ピーキーすぎて僕には無理だ。
 通話を切ったクーロが、しぶしぶといった動作で椅子から立ち上がる。

「リーダーとヒカルさんから伝言でーす。〈調停者ルーラー〉の事務所同士の話し合いはもうついたので、わたしたちは実行部隊――魔法陣を壊す側に回ってくれとのことでーす。あーあー……仕事したくないのになー」

 そんなクーロの肩を、タクトが元気づけるように軽く叩いた。
 タクトに慰められながら、クーロはカフェのテラスを出口方向に歩いていく。

「あーあ、今月は目立った事件なかったのになー」

 タクトとアゲハさんも、彼女の後を追った。
 僕は周囲を見渡す。今まで優雅にお茶を楽しんでいた周囲の客が、我先にと席から立ち上がって店の出口へ向かっていた。カフェの店員は、そんな客を誘導している。これは――まるで、避難していくみたいじゃないか。

「あたし、ソシャゲに課金しすぎて金ねーからゴタゴタはあった方がいいぜー」

 タクトがスカートのポケットに携帯電話スマートフォンを仕舞いながら言う。アゲハさんが、眉をひそめてタクトを見る。

「お前、まず俺に金を返せ」

 そう言って――クーロとアゲハさん、タクトは三者三様に伸びをする。
 これから戦いに出る勇者たちの準備運動を見ているかのような気分だった。
 クーロは僕に振り向いて、幸せそうに微笑む。

「――じゃ、ちょっとだけ、"この街"を救ってきますか」

 彼女のその笑みが、僕の記憶の中のあのひとの表情と重なる。
 柔らかく僕を包んでくれる、温かい笑み。
 どんな時も、僕の隣にいてくれたひと。
 姉さん――。