英雄の憂鬱
〈神〉が災いを引き起こしたという一報は、〈"ロスト・エルサレム"〉で最も高い地位にいる二人にすぐさま届いた。
一人は、〈"ロスト・エルサレム"最高議会〉議長であるクルス=クルスガワ。
そしてもう一人――"この街"の功労者である彼は、街の山側にある〈"ロスト・エルサレム"総合大学〉の一室の窓から赤く
彼の研究室兼趣味部屋には、壁一面を埋める本棚から溢れた本が乱雑に、床のいたる所に積まれていて文字通り足の踏み場もない状態だった。その殆どに、付箋が貼られ手書きのメモが添えられている。
学生のレポートや大学の書類が散乱する机の上には、未開封のまま放置された手紙も多数ある。消印は半年以上前のものから、一年以上前のものまで。〈アオザキ機構〉という差出人の手紙には、何故か親の仇のようにペーパーナイフが突き立ててあった。
唯一、本棚が設置されていない壁には大きな薄型のテレビがかけられている。先ほどまで〈神〉の演説が流れていたテレビは、今は長編アニメーションの映像が流れていた。テレビの傍らには、DVDやブルーレイディスクの置かれた小さなラック。そこに並んでいるのはどれも、同じアニメ制作スタジオの長編アニメーションだった。
彼は、空から視線を下ろして街を見下ろす。
遠くに見える銀色のタワーと、大きな建物、そして海に浮かぶ人口島の空港に、子供がペンキで書き殴ったような紋様が描かれている。それは、まるで神様がたわむれに筆を走らせたように無意味で、かつ芸術的な形をしていた。
「また、あいつ、退屈してんのか……厄介なことをしてくれるよな、まったく」
彼は、十年来の友人に語りかけるような口調で言う。
だが、この部屋に彼以外の人間はいない。
テレビから流れるアニメの曲以外は、しんとしていた。
やがて、部屋の外、廊下を走る足音が聞こえてくる。
ばたん、と音を立てて、扉が開く。
飛び込んできた学生風の青年は、彼の姿を視界にとらえると叫んだ。
「教授――――――――――! なんか、街が大変なことになってます―――――――!」
「うん、知ってる」
彼は、振り向くことなく左手をあげてひらひらと振ることで青年に応えた。
「なんでそんな余裕なんですかー⁉ はっ、まさか、教授だけのスペシャルでスーパーな必殺技というか、解決方法があるとかですか⁉ 教授、TUEEEEEEEE的な⁉」
青年は期待に目を輝かせながら彼の背中を見つめる。
彼は、窓の外を見たまま少しうんざりしたような声で言う。
「んなもんないよ。僕をなんだと思ってるんだよ」
「え、でもでも、俺の尊敬するアオザキ教授なんだから、なにかありますよねっ⁉」
「ない」
きっぱりと、彼は言い切った。
しかし、すぐに言葉を続ける。
「だからといって、僕が諦める理由にはならないけど」
そう言って、彼は少年のように透明な笑みを浮かべた。どこか、全てに興味のないような。けれど、強い意志が込められた瞳がぎらぎらと光っているような。
「行くぞ、ヴィオ」
彼は、青年の名前を呼ぶ。
師に名を呼ばれた青年は、高らかに返事をする。
「はい、教授!」
「久々の特別講義――ついでに、課外授業ということで」
「了解です!」
彼は、本の山の上に無造作に置かれていた白衣を手に取った。それを、着物の上に
紫煙を揺らしながら、彼は部屋を後にする。
誰もいなくなった部屋で、テレビの映像だけがただただ、流れていた――。