少女はバルコニーから都市を見下ろしていた。
純白の雪景色の合間に広がる、煌びやかなネオン。無数の小さな光は、険しい山岳地帯に横たわるように存在する都市の要だった。夜の時間が長くなっても、
「我らは創造主の末裔――極光皇国に、栄光あれ――」
皇国の国歌の一部を口ずさむ。小さな歌声は、誰にも届くことなく冷たい空気に溶ける。歌とともに、少女の口元からは漏れた空気は白い。少女の身に着けている厚手のガウンを以てしても、凍えそうなくらいに寒かった。時刻は深夜、気温は氷点下を下回っている。
それでも――少女は温かい部屋の中に戻ることをしなかった。
その代わり、まだ幼さの残る指にはめていた指輪を外すと、空高くに掲げてみせた。
夜の都市の放つ光を浴びて、指輪に設えてある宝石は七色に光り輝く。人を魅了するような怪しい輝きと、純粋な美しさを持つそれは、数百万、数千万、いや、それよりも多くのダラル紙幣を積んでも手に入らない代物だ。
少女は、名残惜しそうな視線で指輪を見つめる。
永遠の別れを告げるような。
長い沈黙。
そして――、
投げ捨てるように、宙空へと放り投げた。
重力に従ってバルコニーの外の街並みへゆっくり落ちていく指輪は、暗闇に吸い込まれてやがて見えなくなった。
「――は―――――……っ――」
少女は安堵するように長く息を吐き出す。
指輪の消えた虚空をしばらく見つめていると、ふいにノックの音がした。
少女の名を呼んで、初老の男が部屋に入ってくる。少女は笑顔を作って振り向いた。
××××
現れた〈夜の眷属〉をなんとか撒きながら、ステラナジカは暗い路地を歩いていた。
暗いといっても、
遠目に、極光皇国の皇族たちの住まう皇居がそびえ立っているのが見える。
あそこに住まう彼らは、底辺で暮らすステラナジカとは何もかもが違う。たくさんの召使いに囲まれて、空腹で眠れなかったことなど生まれてから一度もなく、何不自由ない暮らしをしている。
普段は別の都市に住むステラナジカから見ても、雲の上のような存在である。事実、皇族たちは自らを「創造主の末裔」などと
皇族への反対活動を起こしているテロリストではないにせよ、ステラナジカも彼らのふんぞり返りようには腹が立つ。
(にしても――今日も今日で最高に運が悪い一日だった!)
足早に宿までの道を辿りながら、ステラナジカは心の中でそう思う。
ここ――極光皇国に来たのは仕事上の都合だったが、その仕事内容も最悪だった。最悪すぎて思い出したくもないくらいだ。せめて、早くホテルに帰ってふかふかのベッドの中で眠りたい――! そう思っても、宿泊している安宿はホテルと呼ぶには難があるし、ベッドもとてもではないがふかふかだとは言い難い。
(あーあ、せめて、エリウユに抱っこしてもらって寝よう……ベッドがふかふかじゃなくても、エリウユはふかふかだよ……ふにふにだよ……)
姉と慕う仲間の少女に抱かれて眠ることを想像して、つい顔が緩んでしまう。彼女の温もりを思うと、知らず歩調が速くなってしまうステラナジカである。
(……ん?)
上空で、何かが光った気がした。
足を止めるステラナジカ。
小さな音を立てて、足元の石畳に落ちたきらきら煌めくそれを、目を凝らしてじっと見る。それは、小さな指輪だった。数カラットルはありそうな宝石が、金の台座にはまっている。
(うわ……! ラッキーだよ……ぼくにあるまじきラッキーだよ……! うわーうわー!)
心の中で歓声を上げながら、ステラナジカはその指輪を拾い上げる。サイズも丁度良さそうな指輪を、興味本位で指に嵌めてみる。どの指に嵌めるか迷って、左手の薬指にした。
「綺麗……」
自分の指に嵌った指輪を見て、つい言葉が零れる。
まるで、世界中の欲をかき集めて一つに固めたように妖しげな輝きだった。同時に、この世の何よりも気高い雰囲気を纏っている。矛盾するそれらが、奇妙なバランスで同居している。
――だが、見惚れていたのも一瞬。すぐにステラナジカの頭の中は、この指輪を売れば儲けられるだろうダラル紙幣の幻想で埋め尽くされる。魔性の美しさでは空腹にも勝てなければ、寒さをしのぐこともできない。今は、空腹や寒さを満たす金が必要だ。
「このサイズの宝石なら、絶対高値で売れるよ――! これはいいお宝にありついたっ!」
思わずスキップをしてしまいそうな足取りで、ステラナジカはまた歩き出した。