仄暗い店に入ると、とたんに酒の匂いと煙草の臭いが鼻を突いた。店内にかかっているのは落ち着いた雰囲気の音楽。品のいい調度品の決して雰囲気は悪くない店だった。酒場という表現より、バーという表現の方がしっくりくるような、そんなところだ。
真面目な職人や商売人ではない客――つまり、堅気の職業ではなさそうな人々の合間を縫って、カウンター席に三人陣取る。
雇われのバーテンダーらしき壮年の男性は、黙ってグラスを磨いている。
ドリンクメニューから適当にカクテルを三つ注文し、ダラル紙幣を差し出すと、バーテンダーは流れるような手つきでシェイカーを振り始めた。その仕草にステラナジカは惹きつけられる。
「情報収集って、どうするんだい?」
エリウユがハルアキラを見つめて言った。
「まぁ、てきとーにな」
「適当でいいわけないだろう。ぼくはやろうと思えばどこでも稼げるけれど、師匠はニライカナイに事務所があるだろう? 帰れないと大変なのはむしろ師匠の方だ」
隣の二人の話をBGMがわりに流しながら、ステラナジカはバーテンダーの動きに夢中だった。愛想はないが、動きに無駄がない。もしかすると、知る人ぞ知る一流のバーテンダーなのかもしれなかった。普段は雇われとして働いているが、実は……という漫画のような妄想が膨らむ。
「それに、ぼくだって帰れないのは御免だよ。『蝶の舘』のお姉さま方に心配をかけるわけにはいかないし、待っている人だっているんだ」
「ん、初耳じゃのう、恋人とかおったんか」
「予約のお客様という意味だよ。ぼくはこれでも娼婦としては人気のある方なんだ」
「うは、おとこ女に人気とか、あるんか……爺、相手をしてもらうなら、もうちっと色気がある方がよいのぅ……」
ハルアキラの言葉はそこで途切れる。
エリウユが容赦なく、腹を殴っていた。
「ぐはっ……は、腹はやめんか……みぞおち入ったぞ……⁉」
「ぼくの色気は師匠ごときにはわからないんだよ。ステラはわかるよね?」
「えっ?」
急に話を振られたステラナジカには、なんのことか理解できない。が、取り敢えず頷いておいた。
「う、うん――」
「いい子だね、ステラ。後でいっぱいご褒美をあげるね?」
「え、あ、ご褒美……?」
「うん。気持ちいいご褒美だよ。いっぱいしてあげる」
ステラナジカの顔の筋肉が緩む。
(……僕、今日、大人になれるかもしれない……!)
頭の中で精一杯のいやらしいことを考える。が、どうやっても想像の中のエリウユはいつものスーツ姿から衣装を変えなかった。肌の露出が上がるわけでもない。その理由はただ一つ、見たことがないものは、単純に想像ができないのだった。
「一体、何する気じゃ……」
「耳かきとか、かな」
にまにまにやけるステラナジカを見ながら、エリウユはにっこり笑う。
バーテンダーが差し出したカクテルで、ステラナジカの健全な妄想は中断された。
無口なバーテンダーからカクテルを受けとって、一口飲む。たちまち、世界がばら色に染まった気がした。
「ふあ、おいひいよぉ……なんか、しあわせだよぉ……」
呂律の回っていない口調でステラナジカは言う。そのまま、ぐびぐびとカクテルを飲み干して――ばたっ、とカウンターに突っ伏した。
「なんじゃ、酒の楽しみ方を知らんやつじゃのぅ」
「ああ、忘れてた、ステラは下戸の酒好きなんだった……」
不満げなハルアキラと、思い出したように言うエリウユの言葉が、夢の世界に旅立ったステラナジカの意識の遠くで聞こえた気がするが、彼を現実に引き戻せるほどの威力は持っていなかった。