連天吼

ユーフォリア

 仄暗い店のカウンターに積まれた輝く金貨や高額の紙幣。数カラットルはあろうという大粒の宝石。年代物の酒、百年若返ると言われる高級化粧品にマニアが見れば涎を垂らすだろうこと間違いなしの古びた魔導書――積み上げられた有象無象のお宝に文字通り突っ込んで、ステラナジカはその三枚の紙切れを両手で掴み取った。

 床に散らばる金貨や宝石を見て、男たちが顔をしかめる。


「やったっ! 外したな! 僕の勝ちだ! 約束通りチケットは僕のものだ!」


 死んでも離さないと思うくらい、ステラナジカはチケットを抱きしめる。


「ああ⁉ こんなもん、イカサマだろうが!」
「そうだぞ! なんだこのコイン、裏とか表とかわかんねぇだろ!」
「君たちがわかんないだけだろ? 僕にはコインが裏だったってはっきりわかるんだ。だから、表だって言った君の負けなんだよ!」


 凄みを利かせた男たちに、いつもの口調でステラナジカは応戦する。

 リーダー格の男の手がステラナジカの襟元を掴む。そのまま、引き寄せられた。

 至近距離で男は捲し立てる。その表情は、怒り心頭に発するといった風だった。


「なぁ、お嬢ちゃん。これ、有名なイカサマコインだよなぁ? 二〇〇〇イェンくらいで売ってるやつだよなぁ? この俺を騙そうとしやがったの? お嬢ちゃんの分際で?」
「い、イカサマなんかじゃない!」
「へぇ~! 話はホテルの俺の部屋で聞いてやるわ。たっぷり可愛がりながらなぁ! 大丈夫、心配しなくともお嬢ちゃんはとってもきもちイイだけだからよ!」


 ステラナジカは、目前に迫る男の顔面めがけて唾を吐きかけた。


「ばーか、ばーか! 僕はお嬢ちゃんじゃないんだよ! 残念でした、僕はれっきとした男だよ! ざまぁみろ!」


 だが。

 男は様子を崩さなかった。


「うん。途中からだいたい気づいてたぜ。でも、男同士だからってできないことって意外とねぇのよ。顔だけは女みたいだし……クソガキは俺が調教して従順にしてやればいいし、俺的には問題ねぇな」
「え、ちょ、ちょっと……それ、僕は困るんだけど……」


 狼狽えたのはステラナジカの方である。

 蜘蛛の巣にかかった美しい蝶のようにじたばたとただ暴れるだけしかできない彼を、男は逃がさない。思い描いたシナリオ通りに事が進まず、ステラナジカの思考力はゼロを通り越してマイナス値だった。


「ま、待って! 待って待って待って、心の準備がぁ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!」


 ステラナジカのか細い悲鳴が店内に響くも、助けようとする客はいない。――そう、ただ一人を除いては。


「きみたち、僕の弟に何をしているんだい?」


 知らぬ存ぜぬを決め込む客の合間を縫って現れたのは、男物のスーツに身を包んだ少女――エリウユだった。彼女の姿を見るなり、ステラナジカは悪の魔王に攫われるピンチを助けられた姫のような表情をした。


「エリウユっ! はやく、助けてよっ!」
「ああ⁉ なんだ、お前は⁉」
「部外者は引っ込んでろ!」


 ステラナジカを捕まえたリーダー格の男の左右から、エリウユを威嚇するように睨む男二人。だが、エリウユは怖気づく素振りすら見せなかった。毅然とした態度で、男たちと対峙する。


「部外者じゃないよ。その子はぼくの弟分で、連れなんだ。その耳は一体、何を聞いているんだい? 耳が遠いのかな? いい医者を紹介しようか?」


 煽るようにエリウユは言う。

「それとも、頭が悪くてぼくの言っていることが理解できないのかな? じゃあ、一度死んで出直すしかないね。だとしても、来世で今より頭が良くなれる確率は一パーセントもないだろうけどね」
「なん、だと……⁉」


 二人の男がエリウユと距離を詰める。ステラナジカには、その時エリウユが小さく笑ったように見えた。

 少女一人にだいの大人が二人がかりで掴みかかる。

 エリウユは、機敏な動きで後ろに飛び、それを躱す。しなやかな、ネコ科の動物のような動きだった。

 混雑する店内で乱闘が始まった――そう思った他の客たちは、そそくさと隅に避難する。


「先に手を出したのはそっちだからね――」


 よろけた男たちに捨て台詞のようにそう言い放ってから、エリウユは大きく靴の踵で地面を踏み鳴らした。数度、馴染みのないリズムを刻んでから、彼女は叫ぶ。


「おいで、ユーフォリア!」


 その呼び声に呼応するかのように――エリウユの立っている木製の床が奇妙に揺らいだ。まるで、そこだけ水面のように揺蕩っている。そこから、ずずずずずずずず、と生えてくるように現れた無骨なシルエットの物体。それは、複雑な紋章の刻まれた二丁の拳銃だった。

 地面から出現したそれを、慣れた手つきで手に取る。状況が分かっていないのか、あっけにとられた表情の左右の男たちに向けて銃を突きつけた。

 一瞬にして怯えた表情に変わった男に、エリウユは尋ねる。


「ねぇ、今どんな気分だい?」
「……あ……」
「へぇ、そうなんだ。怖くて声も出ないか」
「あの、殺さない、で……」


 銃声。

 そして、直後に床に倒れるような重たい音が一つ。

 右手の銃で素早く狙いを切り替えたエリウユが撃ち抜いたのは、ステラナジカを捕まえていたリーダー格の男だった。銃を向けられていなかったことによる油断。それは致命的なものだった。自分はすぐには撃たれない、撃たれるとしても他の二人がやられた後だ、という安心が敗北につながったのだ。

 男装の少女は残りの男に告げる。


「倒れたその男を連れて、早くこの街を出ろ。次にきみたちの顔を見たら、ぼくは容赦しないよ」


 残された男たちは倒れたリーダー格の男に駆け寄る。出血はしておらず、呼吸もしているが反応がないようだった。その表情は、この世の幸福を一身に受けたかのように弛緩していた。無様なことこの上ない。


「その男は、今すっごく幸せなだけだから。幸せ過ぎてトんじゃってるだけだ。そのうち戻ってくるよ。さぁ、早く行った行った!」


 動物でも追いはらうように、エリウユは男たちにジェスチャーで示す。

 半分腰を抜かしながら、男たちは酒場を出て行った。


「う、うわあああああんっ、エリウユぅっ!」
「ひゃあんっ!」


 感極まっていつものように――それをいつもやっていると言うことは二人だけの秘密のはずだが――エリウユに抱きついたステラナジカだったが、彼女の口から漏れたのは煽情的な、喘ぎ声に近いものだった。

 驚いたステラナジカは、ぱっ、と手を離す。


「ご、ごめん……」
「ううん、いいんだ。ユーフォリアを使った後は多幸感でいつもこうだからね。ちょっと……感じやすくなっちゃってて」
「か、かんじ……っ」


 心なしか、彼女は普段より息も荒く汗ばんでいるように見える。どんな姿でもエリウユはとても綺麗だとステラナジカは思うが、今はとても色っぽい。  ぶるっと小さく身体を震わせてから、エリウユは呟く。


「んっ……快感……」
「エリウユ……か、顔、赤いよ……」


 そう言うステラナジカも、絵の具を塗りたくったかのように赤面していた。

 酒場の入り口からハルアキラが歩いてくる。手に煙草の箱を持っている所からすると、外に煙草を吸いに行っていたらしい。


「おー、なんかやらかしとったみたいじゃのう」
「う、うん……ッ。ステラがちょっと絡まれてたみたいで……ッ」


 彼女は手に持っていた二丁の拳銃を、投げ捨てるように放り投げる。それらは、しゅるしゅると解けるように宙空にかき消えた。


「その癖、まだ治ってないのんか……紋章具使ったらそうなるって、ちょいと淫乱過ぎはしないかのぅ……」


 びくんびくん、と小さく身体を震わせるエリウユを横目で見ながら、ハルアキラは呆れたように言う。

 余韻で思うように言葉を紡げないエリウユの代わりに、ステラナジカは答える。


「紋章術式による紋章具との契約は、刺青によって精神と紋章具を繋ぐものだから、えっと、多かれ少なかれ何かの感情が増幅されてしまうのは当然であって……んと、なんだっけ……」


 過去にハルアキラから学んだ紋章術式学の基礎理論を必死に思い出すが、ステラナジカの頭脳ではそれは不可能だった。言葉の語尾は曖昧に散ってしまう。


「じゃからって、性よ――ぐはっ」


 ハルアキラの言葉は復活したエリウユの殴打によって遮られる。


「それ以上言ったら、師匠でも殴るよ」
「もう殴っとるじゃろに……捻じりこむようないい拳じゃ……」


 コホン、とエリウユは咳払いをする。

 ステラナジカは手に握りしめている三枚のチケットのことを思いだした。


「あ、これ! さっきの奴らから……えと、くれたんだ! 今夜くらいのネリヤカナヤ急行のチケットかも!」


 ハルアキラに広げたチケットを見せる。

 彼はチケットを受け取ってしばらく解せないというような顔をしていたが、やがて納得したように他のステラナジカとエリウユの顔を見る。


「何があったんか気になるが……出発時間まで数時間しかない上、ネリヤカナヤ急行の搭乗手続きには時間がかかるしのぅ。うむ、では、走るぞ!」


 言うが早いが、珍しく駆けだした。

 その後を、ステラナジカとエリウユは追う。

 三人が搭乗手続きを終えたのは、雪が降り出した頃だった。

こんな姉代わりの女の子がいたら、ステラナジカでなくとも「惚れてまうやろー!」と思います。 めちゃくちゃ甘やかされたいですし、甘えたいですね、うん。 ふにふにでふわふわらしいので……きっとエリウユはいい匂いとかするのでしょう。笑