連天吼

叶わぬ想い

 動くホテルのように豪奢なネリヤカナヤ急行は車両数三〇で最大四階層にも及ぶ。四本のレールの上を走っている様は、小型の山が移動しているようにも見える。

 勿論、そんな列車を格納できる駅も専用に設えたもので、軽く小さなデパートくらいの大きさはあった。極光皇国定番の土産物である極光まんじゅうを咀嚼しながら、搭乗手続きを済ませたステラナジカは駅のベンチに座っていた。

 誰かがベンチに置きっぱなしにした新聞の見出しは、極光皇国の教皇が年明けの七都市大陸会議に参加するため、近日、極光皇国を経つという内容だった。見出しの横に掲載されたモノクロの写真に写っているのは、簡素だが気品と神々しさに溢れた装飾品を身に着けたまだ年若い少女だ。せいぜい、ステラナジカと同じくらいの年齢にしか見えない彼女は、正式に選出された極光皇国第二三三代教皇ヨハネスである。まだ少女ながらも極光皇国では人気があるらしく、政治的にも外交的にもとても優れているそうだ。

 自分より恵まれている人間を見て――ステラナジカは少し苛ついた。新聞を手にとり、少し離れた屑籠に放り投げる。放物線を描いて、新聞は屑籠の中に見事納まった。


(よし……っ!)


 心の中でガッツポーズを決めるステラナジカ。

 だが、同時に「こんな所で数少ない運を使うなんて」と虚しくなってしまった。

 ネリヤカナヤ急行の出発時間は夜の八時。今はその三十分前だ。

 そろそろ、化粧室に行っているエリウユと喫煙所で煙草を吸っているハルアキラも戻ってくるだろう。それまで、ぼうっと待ちぼうける。

 ふいに、視界が真っ暗になった。

 誰かに手で目隠しをされたのだ。


「だーれだ?」
「え、えっと……」


 ステラナジカは戸惑うふりをする。

 こんなことをする人物には、一人しか心当たりがない。


「わからないかな?」


「う、うん……」
「へぇ」


 声の主との距離が近づく。

 背中に柔らかいものがあたっている。


「これでも?」
「ぁぅ……」


 ステラナジカは小さく呻く。


「ステラにはもっとすごいことしないと、わからないかな?」
「…………」


 ぱっ、と視界が開かれる。同時に、背中の感触も離れた。

 赤面したまま固まって、言葉も出ないステラナジカの肩を励ますように二回叩いてから、エリウユは彼の正面に回り込んだ。


「おまたせ」
「う、うん」
「化粧直すのに時間がかかっちゃったよ。師匠はまだ喫煙所?」


 こくん、とステラナジカは頷いてベンチから立ち上がる。

 化粧を直す、と彼女は言ったが、ステラナジカにはどこを直したのか、そもそもエリウユが化粧をしているのかということもわからない。


(き、きっとそんなことしなくても、エリウユは十分綺麗だよ……)


 その言葉が口に出せていたら、この関係は変わるのかとステラナジカは考える。否、その言葉を言えたとしても、エリウユは自分のことを弟扱いしかしないのだろう。いつまで経っても、一人前の男としては見てくれないのだ。

 早く一人前になって、エリウユの隣に並べる男になる。

 それが、ステラナジカの昔からの夢だった。


「にしても、師匠遅いなぁ……」


 エリウユは、左手にはめた腕時計を見る。ステラナジカもつられて視線を動かす。その時計は、いつも彼女が身に着けているものだった。文字盤が星空になっている時計だ。長針と短針には、天体を模した飾りがついている。

 ステラナジカには、高価そうな時計だということしか分からない。

 が、エリウユにとってはそれ以上の何かがあるのだろう。

 その時計を見つめる時の彼女は、とても可憐な表情をしているからだ。まるで、意中の相手を見つめるような――。

 エリウユがその表情を見せる度に、ステラナジカは複雑な心境になる。


「ん? ステラ、どうしたんだい?」


 ステラナジカに、エリウユが問いかける。いつの間にか深刻な表情をしてしまっていたのだろう。誤魔化すように笑って、ステラナジカは答える。


「え、えと、綺麗な時計だよね。エリウユに似合ってるよ」
「うん、ぼくもそう思う。大切な人からもらったものだから、これをくれた人もぼくに似合うように考えて選んでくれたんだと思うと、すごく嬉しいよ」


 照れるようにエリウユは微笑む。


「それよりも、さすがに師匠は遅すぎるよ。喫煙所まで見に行って、まだ呑気にしてたら二人で一発ずつお見舞いしてやろう」
「う、うん!」


 ステラナジカはエリウユと共に歩き出す。

 心の底に、澱のように沈殿する黒い感情を必死に忘れようとしながら。


(わかってる、わかってるさ……!)


 何度も何度も、声に出さずに繰り返す。

 おそらく、この憧れのような恋が叶うことはない。

 それはステラナジカ自身が誰よりもよく理解していた。

 しかし、それでも諦められないものはあるのだ。

 諦めたくないものは、あるのだ。

なんだかんだで片思いなステラナジカです。 ……最初から弟的存在であって、男としては見られていなさそうでしたし……。